「ジュゴン」の鳥羽水族館の旅
六年前の台湾旅行を最後に、旅行先を国内旅行に絞っている。今年は仕事も含めて忙しい日が多かったが、国内六地点の旅行をした。都道府県で言うと滋賀、東京、静岡、熊本、三重。このうち三重県鳥羽市の旅行について記録しておく。
三重を旅行するのは小学校時代の旅行を含めて4回目だ。今回の三重旅行は鳥羽を重点とした。宿泊は会社の保養施設やホテルが集まっている地域で一泊、もう一泊を鳥羽市の離島である「神島」にとった。
鳥羽と言えば伊勢参宮の起点とも言える街だが、ほかに「鳥羽水族館」があることでよく知られている。この水族館を訪れることが今度の旅行の目的の一つであった。この水族館ではジュゴンが飼われている。聞くところによると日本ではここだけだそうだ。そのジュゴンを見た。
ジュゴンは「人魚」の原型イメージといえる哺乳動物だ。体は白っぽく、意外と大きい。水槽の中をゆっくりと泳ぐ。こちらを向いた顔は笑っているように見える。図体は大きいが愛らしい。水槽の底にえさ箱がおいてあり、箱の中に用意された餌の水草を、大きな口でむしゃむしゃと食べる。ジュゴンは草食哺乳類なのだ。
ジュゴンの水槽の前でしばらく釘付けになった。「オオ、これがジュゴンか。初めて見た。大きいな。可愛いな。」とつぶやく自分がいる。大勢の子どもたちも夏休みを利用して両親たちとここに来ている。そして口々に「わーすごい。」「可愛い。」とか何とか、歓声を上げている。この自分と同じだ。
ふと我に返って「だが、待てよ。」と思う自分に気がつく。そんなジュゴンは、たしかにこの水族館で大きな部類の水槽で飼われている。大きな水槽なのだが、ジュゴンの身体の大きさからすれば、狭いと感じた。広々とした大海原で、仲間たちとのんびりと泳いでいるジュゴンを想像してみた。
ジュゴンの都合と人間の都合。もっと広げれば、水族館で飼われているすべての生き物と人間の都合。この両者の都合の潜在的対立が水族館という仕組みのなかにはあるのだ。そんなことを考えさせる夏の一日であった。
その日の宿の夕食で出された伊勢エビの刺身に、人間の都合を優先させて舌鼓を打った。「うまい!」 眺望のきく海側の部屋のテラスから明かりの灯った島々の夜景を楽しんだ後で、「やっぱり水族館は楽しいな。」というつぶやきで寝息の世界に入っていった。
(2017年夏)
by nanpuhtongue
| 2017-09-03 12:58
| 旅行